映画「こんな夜更けにバナナかよ」の内容と感想を知りたい人へ
こんにちは。
まるっちょ。(sw_maruccho)です。
映画「こんな夜更けにバナナかよ」を観てきました。
映画というのは、作者の「想い」というのが必ずありますよね。
そこで今回は、私が実際に観た「こんな夜更けにバナナかよ」の内容と感想を紹介していきます。
「こんな夜更けにバナナかよ」の内容
最初に、「こんな夜更けにバナナかよ」の内容について紹介していきます。
キャストとして中心になったのは主役を演じた大泉洋さん、ボランティア役の高畑充希さん、三浦春馬さんです。
主にこの3人の人生について書かれた作品でした。
その3人の視点で内容を紹介していきます。
大泉洋演じる主人公「鹿野靖明」の人生
主役は大泉洋さんです。
演じるのは、幼少期から筋ジストロフィーという難病に罹患された鹿野靖明(しかのやすあき)さんの役です。
鹿野さんは、筋ジストロフィーという難病のため、首と手だけが動かせるという状態です。
そのため、常に誰かが側にいて生活を手伝ってもらうということが必要です。
そんな鹿野さんを、ボランティアとして多くの人が支えます。
多くのボランティアの力を借りながら、鹿野さんは入退院をしたり恋をしたりしながら自分の人生を自由に過ごしていきます。
難病のため、「最期のとき」が来てしまいます。
最期まで自分の人生を自分の意志で全力で生きた鹿野さんの生活が描かれています。
高畑充希演じるボランティア「安堂美咲」の人生
高畑充希さんが演じたのは、ボランティアとして鹿野さんを支えた安堂美咲(あんどうみさき)さんです。
安堂さんは、この後紹介する三浦春馬が演じる田中久(たなかひさし)さんの彼女役です。
しかし、最初に安堂さんが登場したときには、田中さんと安堂さんが付き合っていることは言っていませんでした。
田中さんにも、鹿野さんにも「教育大生」と自分を紹介していました。
しかし、教育大生徒ではなくフリーターであることを自ら鹿野さんと田中さんに打ち明けます。
田中さんとは関係がどんどんぎくしゃくしていってしまいます。
そんな中、あたたかく迎えてくれたのは鹿野さんでした。
鹿野さんの「嘘を本当にしてしまえば良い」という言葉で本当の教育大生になるために勉強を始めます。
鹿野さんとの距離が少しずつ近づいていく安堂さん。
しかし、心の中には田中さんの存在もあり、どういった展開になっていってしまうのか…。
そんな中、安堂さんは鹿野さんにプロポーズをされます。
鹿野さんと安堂さん、そして田中さんの三角関係はどうなっていくのでしょうか。
果たして、安堂さんは教育大生になれるのか!?
三浦春馬演じるボランティア「田中久」の人生
三浦春馬さんが演じるのは田中久(たなかひさし)さんという医学部に通う大学生です。
「患者に寄り添える医者になりたい」をモットーに頑張っています。
お父さん役は友情出演で佐藤浩市さんが演じました。
お父さんは田中病院の院長をしています。
田中さんは、医大生をしながらボランティアとして鹿野さんのところに通っていました。
そして、彼女である安堂さんをボランティアとして紹介します。
安堂さんを自宅に招いてお母さんに会わせようと計画をしていましたが、安堂さんから実は教育大生でないことを告げられます。
そこから彼の人生は大きく動いていきます。
そして、ある日鹿野さんのところにボランティアに行った際、鹿野さんより衝撃の一言を言われます。
「美咲ちゃん。もう来ないだろうなあ。ベッドイン寸前だった」と。
もちろん、鹿野さんは安堂さんと田中さんが付き合っていることは知りません。
ここから、田中さんと安堂さんの関係はより壊れていきます。
そして、医師になるという夢も諦めようとする田中さん。
果たして、田中さんは本当に医師になる夢を諦めてしまうのか!?
安堂さんとの関係はどうなってしまうのでしょうか。
「こんな夜更けにバナナかよ」の感想
冒頭にも書きましたが、映画にはテーマや作者の想いがあります。
その想いの受け取り方は、視聴者によって違って良いかと思います。
私がこの映画から感じたメッセージは3つありました。
- 母と息子の愛
- 素直に生きること
- 障害があっても自分らしく生きること
この3つのテーマが私の中に大きく残りましたで、紹介させていただきます。
母と息子の愛
最初のメッセージは、母と息子の愛です。
作品がある程度まで進んだところで、綾戸智絵さんが演じる鹿野さんのお母さんが登場します。
お母さんは、ボランティアの人たちのために…といなり寿司の差し入れを持ってきます。
しかし、鹿野さんはそんなお母さんに冷たく応じて早く帰れと追い返してしまいます。
お母さんについていく安堂さん。
安堂さんはお母さんから、障害を持って生んでしまった責任があるという話を聞かされます。
そして、本当は何でもしてあげたいが、鹿野さんが自分で生きていくことを選んだから見守ることが今の自分の役目だと話します。
安堂さんは、鹿野さんに「お母さんに本当は甘えたいはず」という言葉を伝えます。
鹿野さんから出た言葉は、「母親には母親の人生がある」ということでした。
お互いがお互いのことを想いあっている母と息子の愛が描かれていました。
そして、鹿野さんが亡くなった後には、鹿野さんがお母さんに宛てた手紙が読まれます。
お母さんは、作品中にあまり出てきません。
しかし、ここぞという大切な場面で出てきます。
そこには、母との息子の時間は別々に流れていてもずっと繋がっているというメッセージがあったように感じます。
素直に生きること
続いて私が感じたのは、素直に生きることです。
主人公である鹿野さんは、最初から最期まで素直に生きていました。
生きたいこと、入院したくないこと、自宅で過ごしたいこと、安堂さんを好きだということ。
すべてにおいて最初から最期まで素直だったのは鹿野さんでした。
しかし、そこに集まったボランティアの田中さんと安堂さんは、どうしても素直になれない自分がいたんですね。
そんな2人も、鹿野さんと出会うことで少しずつ変化していきます。
田中さんは、いつも自分の気持ちが言えずにある意味「良い人」を演じていました。
そんな田中さんに、鹿野さんが問いかけます。
「お前は何がしたいんだ」と。
自分がしたいことを考えて出す田中さん。
そして自分の人生を自分で決めて切り開いていこうともがいていきます。
安堂さんは、田中さんや鹿野さんに出会ったときは教育大生と嘘をついていました。
しかし、安堂さんは元々教育大生を目指して頑張ってきたが夢が叶わなかった人でした。
夢を諦めて過ごしていた安堂さんに、「嘘を本当にしてしまえば良い」ということをきっかけに「自分がしたいこと」について問いかけ始めます。
素直に生きる鹿野さんの影響を受け、田中さんも安堂さんも、自分の人生に素直になるという生き方をし始めます。
素直に生きにくい現代の視聴者に、「素直に生きたら良い」ということを問いかけた印象を受けました。
障害があっても自分らしく生きること
鹿野さんは、筋ジストロフィーという難病です。
途中、人工呼吸器もつきます。
それでも鹿野さんは、やりたいことはやりたいとしっかりと表現されています。
自由に生きるが故に、ボランティアの人たちとも何度もぶつかります。
それでもボランティアの人たちが大勢鹿野さんのもとに集まるには、理由がありました。
鹿野さんは、「何度もぶつかったけど、その分皆のことを良く知れたし、僕のことも知ってもらえたと思う」ということを表現されました。
そして、「みんながいてくれたからこそ今の自分がある。ありがとう。」と感謝の気持ちも伝えています。
鹿野さんは、人の手が必要な自分というのをしっかりと受け止めていました。
シンポジウムの場面でも、質問をした子どもに対して「人の手を借りる勇気も必要だ」と話しています。
「障害」とは、何も身体のことだけではなく、心のこと、環境のこと、対人のこと、生きていると色々な障害があると思います。
しかし、大切なことは「諦めること」ではなくて「自分らしく生きること」だということをこの映画を通じて鹿野さんから教えていただいたように思います。
まとめ:「こんな夜更けにバナナかよ」を観てほしい
この映画のタイトルは、「こんな夜更けにバナナかよ」でしたね。
作品の割と最初の方で「こんな夜更けにバナナかよ」のタイトルがどういうことか分かります。
何度も同じことを言ってしまいすみませんが、映画には作者のメッセージがあります。
そして、そのメッセージの読み解き方は人それぞれです。
私がここに書いたのと違う意味を受け取る方も、もちろんいると思います。
もし、「私はこんなメッセージを受け取りました」という方がいればコメントしていただいて共有させていただけると嬉しいです。
まだ観ていない人は、ぜひ1度、ご覧くださいね。